「テストの点を上げたい!」は、私の「痩せたい!」と同じ!?行動できない大人と子どもの話。

「テストの点を上げたい!」
と言いつつも、なかなか行動に移せない子どもたちを前に、いつも思う。

私のダイエットと同じ、だと。

昨年の誕生日。私は友だちに「今年は痩せようと思うんだよね。」と言った。
すると、友だちは、こう返した。
「それ、去年も言ってたよ。」

驚いた。全く覚えていなかった。

思い返せば、何十年という期間、私は痩せたいと思い続けている。
でも、ただ言うだけ。ただ思うだけ。
そこに「本気」はない。

スタイルがいい人に対する、漠然とした憧れ。
体重は10キロは落とさないとヤバイよね、という漠然とした目標。
将来病気になるのはイヤだな、という漠然とした不安。

とりあえず何かできそうなことをやってみるが、やったらやったで、努力の量より数倍大きいご褒美。
やらないことへの上手な言い訳を考えて、自分を正当化する。
やらないことが当然になり、どうせ無理という諦めが身につく。

でも、常に痩せたいと思っているのだ。

子どもたちの「勉強ができるようになりたい!」「テストの点を上げたい!」も、私のダイエットと同類だろう。

漠然とした将来の不安。
目標も目的も曖昧。
何をするとよいのか、知らないわけではないけど、続かない。
ゲームやスマホ。すぐそばに誘惑がある。
友だちだってやっていないと、自分を無理に安心させ、やっても意味がないと、もっともらしい言葉で武装する。

でも本当は、勉強ができるようになりたいのだ。

こう思うと、「勉強しなさい!」と言うことがいかに無駄かがわかる。
そんな言葉で動けるなら、私はすでに痩せている。

やる気はある。それを「本気」に育てることに時間がかかる。
マニュアルもない。どのタイミングで本気になるかもわからない。
タイパの時代、AIの時代でも、悩みはアナログだ。

だから私は観察する。

やり方がわからないのか、目標が高すぎるのか、こまめなサポートが必要なのか、将来を具体的にイメージさせるといいいのか。
それとも、周りの雰囲気に合わせて「がんばりたいです」と言っているだけなのか。

自分自身も観察対象だ。

小さな小さなやる気の種をどう育てるか。
私のダイエットとともに、探っていく。

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